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2005(平成17)年6月26日版
2004(平成16)年1月1日版
2003(平成15)年4月10日版


2005(平成17)年 6月26日

「腹芸の今後」について考える

気が付いてみると、このサイトを立ち上げてから既に4年近い月日が流れていたことになる。
…と思っていたが、まだ3年が過ぎたばかりだった。こんなところにも自分のいい加減さを感じて何だか悲しい気持ち、いや、そんな話はどうでもよくて、ともかく3年が過ぎたことは確かである。

この極度にものぐさでしかも飽きっぽい私が3年も同じ事を続けるというのは、なかなか珍しい事のような気がするのだがどうだろう。これ以外で3年以上続けたものといったら、打楽器と大学の勉強とプログラミングとクイズと麻雀ぐらい…結構見つかってしまったが、まあ、いいか。いや、よくない。私はものぐさではなかったのか。言っている事とやっている事がかみ合わないではないか。一応いろいろ手を出しているあたり、ある意味で飽きっぽいところは当たっていそうだが、言行不一致には違いない。ああ、文章が始まったばかりで早くも自己批判か。自己否定か。こんな私は自己啓発セミナーでも受けてきたほうがいいのか。受けないが。

どこかのサイトに統計資料として掲載されていたのだが、個人が開設したサイトのうち半分以上は1年ともたずに閉鎖するという話があった。3年以上続いているものは1割程度ではなかったろうか。何分資料が古くて現在流行っているブログが登場する前のものなので、現在と単純に比較はできないのだが、まあ、かなりの参考にはなると思われる。つまりそれだけ長く続けるのは、私に限らず、誰だって簡単ではないらしいということだ。ところで今出てきたブログとはウェブログの略称なのだが、「ウェ」ぐらい略さずに言っても罰が当たらないと思うのは私だけか。そんな事はどうでもいいか。

さて、いくら3年続けたことを自慢したところで、これからはどうするのかという問いは発生する。これまでの3年間は学生の身分でのんびりしていられたからこそ続けられた訳で、一応曲がりなりにも社会人になってしまった今、果たして同じように続けられるかといえば、やはり否である。そこでどうしようかと考えるのである。先程も2分ほど熟慮したのだが、あいにく結論は出ていない。こうして考えても答が出ないということは、つまりはこのままダラダラ続けるのがもっとも健全ということではなかろうか。何だ、結論が出てしまったではないか。さっきの2分は何だったのだ。まあ、いいか。2分だし。

そういうことで、今後もマイナーチェンジは度々するだろうが、基本線は変えぬままに続けていくことになりそうである。どうせ変える理由もない。


2004(平成16)年 1月1日

「某Bと腹芸」について考える


「某B」とはこのサイトの作者のこと、「腹芸」とは今あなたがご覧のサイトの名前なのだが、ここではそれぞれについて、ごくごく簡単にだが述べてみたい。


「某B」のプロフィールとしては、北海道生まれ、現在は学生という身分である。学生にしては少々年をくっているのだが、所詮は学生なので年の割に思考の内容は幼いものと思われる。性格としては、一言で言えばものぐさで、いつも楽な方向ばかり模索している。手足を動かす事よりも、何かを考えている事のほうが好きである。これで聡明であれば一目置かれるところだろうが、残念な事に、作者の場合は常に的外れの方向に頭を動かしているらしく、いつも周囲に誤解を与えるか、自分が勝手に誤解しているかのどちらかである。

作者の長年の趣味として打楽器を挙げることができる。鑑賞も演奏も好きである。サイトの中で多くが語られる事はないが、まれに音楽に関連した話が出てくるのはそのためである。なお、最近は完全にサイト管理のほうに趣味の軸足を移しているので、悲しい哉、音楽に関する知識や演奏技術は抜け落ちる一方である。昔なら吹奏楽団で仲間と語り合う時間が多かったものだが、最近はパソコンとにらめっこする時間に変わってしまった。なんだか人と触れ合う機会を自ら放棄してしまっているようで、たった今、書きながら不安になってきたところである。大丈夫か、自分。

世の中にトラブルメーカーと呼ばれる方がいるが、作者の場合、トラブルに確実に巻き込まれる、時に勝手に自爆するところがある。一見自分に関係のなさそうな話にまで、いつの間にか片足を突っ込んでしまっている事が多い。おかげで掲載されている話の主人公は大半が作者であるが、いつもなにやら面倒ごとに巻き込まれていたり、ぼやいたりの連続である。


次に「腹芸」についてである。「腹芸」はテキストサイトである。分類としては、随想や日記に該当すると思われる。長文が多いので、ややもするととっつきにくいとお感じになるかもしれないが、トップには短めのものも掲載されている。もしお気に召していただけるなら、時々にでも、見に来ていただければ幸いである。

サイトの開設は2002年4月であるので、現時点で2年に少々足りない程度の月日は流れている。当初から弱小ヘッポコサイトという儚い存在であったが、今もってヘッポコサイトのままというのは少々悲しいところである。作者はもう少し知名度が欲しいと、小さな希望を持っているのだが、これを実現するのはなかなか難しいらしい。模索と精進の日々である。

これはサイト開設当初から訴えている事なのだが、このサイト名は作者が考えたものではない。とある友人の策略に嵌まったがために、仕方なく付けざるをえなかった名前である。作者としては1日も早く違う名前にしたいのだが、「腹芸」という何とも無駄にインパクトの強い言葉のために、いまだにそれにとって変わる名前を探し出せずにいる。よくよく考えると、2年近くもの間、自分のサイト名を変えたいと訴え続けている人間も珍しいに違いないが、それでいて変わる気配などまったくないという事は、いい加減に諦めろという意味か。


こんなサイトではあるが、もしご贔屓にしていただけるなら大変ありがたい。おそらく、見に来てくださる方が増えるにつれて、このサイトを通じて、何らかの理由で作者はやられたり、自爆したり、ぼやいたりするに違いない。

なんだ、全然ありがたくないではないか。いいのか、それで。




2003(平成15)年 4月10日

「某B」について考える


「某B」とは何か。


すでに知っている人には「いまさら何を言うのか」と思われるだろうが、これは一応この場で説明しておかなければならないことである。実際のところ、これを説明するのは困難であり、簡潔にはなかなか表現しづらいのだが、そこをあえて強引に一言で表すならば、それはつまり、早い話が、私である。

少し引っ張ってみた割にはあまり面白くならなかった。

まじめに話せば、私は1974(昭和49)年、北海道の小樽という町で生まれている。現在は札幌に住んでいる。勘定すればもういい年なのだが、困ったことにいまだに学生である。ただし学生といっても博士課程の大学院生で、専攻は物理である。

自分で言うのもなんだが、こう書くとなんとなく頭がよさそうである。しかし残念ながらそれは誤りである。どれくらい誤りか。私としては両腕を左右いっぱいに伸ばして「こ〜れくらい」とでも言ってみたいところだが、それをすると周囲の人が悲しそうな目で私を見るのでやめておく。これはこの場でつべこべ説明せずとも、このサイトを隈なく見ていただければ自ずとご理解していただけるに違いない。いや、できることなら理解していただきたくないのだが。

趣味は一応打楽器ということになっているのだが、最近は研究活動に忙しく、音楽をやる時間がなかなか取れない。おかげで腕は鈍る一方である。いや、もともと大した腕でもなかった。

以前このサイトで打楽器に関する話を書こうとしたことがあるのだが、いざ書こうとすると、私が殊のほか打楽器の知識に乏しいことに気づいてしまった。もちろんあっさりネタ切れである。情けない話であるが、私の技量も所詮その程度ということである。



さて、このような人間がわざわざ自分のサイトを開設していったい何をしようとしているのだろうか。これは一番大事なことであるが、答えはいたって単純明快である。


ない。


いや、本当にない。無目的である。今のところ何かを訴えようとか、形に残そうなどという考えはない。確かに単純明快には違いないが、これでは答えとしてはあまりにもつまらない。というより、答えになっていない。

強いて言えば、私は文章を書くのが好きだ、というだけである。理想や哲学といったものはまるでないが、何かを書きたいという漠然とした欲求だけはある。というか、それしかない。そんな状態でサイトを開設していいものか甚だ疑問ではあるのだが、それを突き詰めると早速今日をもってサイト閉鎖に追い込まれることになるので、ここはあまり考えないことにする。

それでは具体的に何を書くか、ということになるのだが、そうなると私自身の日常を綴るか、最近のニュースくらいしか話題がない。しかし、自分の生活を日記にしてわざわざ全世界に発信したところであまり面白くはないし、第一、そんなものを読みたいと思う人もいないだろう。少なくとも、私はそう考える。

だが私には、昔、友人から送られたひとつの言葉がある。



「お前は、存在自体がギャグだ。」



当時は深く考えもせずに聞き流してしまったが、よくよく文章にしてみると、これはひどい言葉である。私がこの世に存在するというだけで笑いが取れるというのである。そんなバカな話があるだろうか。Gary Colemanの名台詞「冗談は顔だけにしろよ」にも匹敵する無礼千万な言い方である。この台詞を毎週のように聞かされていたTodd Bridgesは、よほど冗談のような顔をしていたのだろうか。いや、実はこの台詞は翻訳した人がうまく意訳したものだそうで、実際の英語での台…そんな事は今はどうでもいい。

私は友人にこの言葉を言われてからすでに10年以上の歳月がたっているのだが、今ではこれほど私を的確に表した言葉はないのではないかとさえ思えてしまうのである。言われた私にしてみれば、本当ならばまったく承服しかねる話のはずなのに、もう認めざるをえないのである。

思えば私と友人は当時13歳、中学1年生であった。中学生の目に見抜かれたのか、という思いもあるが、ここはむしろ13歳にして私の本質を見抜いた友人に敬意を払うべきなのかも知れない。ただ、できればもっとましな本質を見抜いてほしかった。


前置きが随分と長くなってしまったが、もし私が本当に「存在自体がギャグ」という人間であれば、そんな私の綴る文章はそれなりに意味のあるものに仕上がるのではないだろうか。もし無理やりにでもこれから自分のやる事に意味を見出そうとするなら、それくらいしか今は言えそうにない。



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2002(平成14)年04月07日 公開
2002(平成14)年06月01日 第1回改訂
2003(平成15)年04月12日 第2回改訂
2003(平成15)年09月15日 第3回改訂
2004(平成16)年01月01日 第4回改訂
2006(平成18)年08月15日 第5回改訂


某B