飲み屋のトイレに行くとこんな張り紙を度々見かける。
『いつもきれいに使ってくださり、ありがとうございます』
命令したり懇願するのではなく、先にお礼を言ってしまう。初めて見たときはそんな言い回しが存在するのかと驚いたのだが、確かにそんなことを言われては、無思慮に汚すのもためらわれるもので、なるほど面白い言い方を考えるものだと少し感心したのであった。
だが、さすがにいろいろなところで何度も目にするようになると飽きてくる。元よりこちらは酔っ払い。最近ではそんな張り紙を見たところで『俺はお前の指図は受けん。ガハハハハァッ』といいながら豪快に事を果たすのであった。つまり賞味期限切れ、もはや効果なし。やった当人も反省なし。
便乗にも色々あるようで、上のような張り紙は飲み屋のトイレだけだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。
『私のそばでせき等をしないよう気をつけてくださり、ありがとうございます』
近所のスーパーの惣菜コーナーで見つけたのだが、さすがにこれは客をバカにしていないか。
複数の知り合いから、複数の『納涼会』なるイベントに誘われた。この時期はそういう名のイベントが各地で催されるらしい。
何とも回りくどい言い方だが、実はこれ、私があまり聞き慣れない単語なのだ。新年会や忘年会、花見など、季節に合わせた行事はいくつかあるが、札幌で納涼会というものに参加した覚えがない。たまたま知らなかっただけなのだろうか。だが、大学でも、アルバイト先でも、実家でも、そんな行事はなかった。それとも社会人になると普通に遭遇するものなのだろうか。
聞けば、普通に飲み屋で宴会をするだけらしい。誰に尋ねても同じような答だ。それに納涼というが、どうも話を聞く限りでは涼しそうな要素をまるで感じない。乾杯のビールくらいか。まともに考えるとよく分からないイベントだと思う。わざわざまともに考えるのも私くらいかもしれないが。
いっそのこと、コートを着てコタツを囲んで鍋を囲むイベントとにしてしまうのはどうだろう。鍋の後なら東京の蒸し暑さも涼しく感じるに違いない。もしかすると、北海道の人に、東京ではこういうことを毎夏するのだと教えたら、信じる人もいるかもしれない。私の母なら信じそうだ。今度話してみようか。
腹芸を復帰させると言っておきながらあっという間に再度の休眠状態に入ったのが昨年の11月。それから随分と日を置いてしまったが、ようやくこのたび再復帰と相成った。掲示板に書き込みをされた方や待ち続けてくださった方には、お一人お一人直接お伝えしたいところである。であれば、ここは電話がいいと思うのだ。決してメールも悪くはない。簡単に短時間で伝えられる。だが、折角だから、直接お話ししたいではないか。たとえば、以下のような感じだ。
ある日唐突に電話が掛かってくる。見慣れない番号だ。とりあえず出てみると、やけに低くゆっくりとした口調で
『腹芸、復活しました。』
その言葉のみ残して一方的に電話が切れる。
素晴らしい。是非やってみたい。やってみたいとは思ったのだが、さすがに顰蹙を買いそうなので断念したところである。そういうわけで、今回もろくに宣伝も打たず、ひっそりとした復活である。そもそも何故こういうことになったかと言えば、一言で言えば面倒くさかったからである。いやはや、あまりに率直過ぎて身も蓋もない。
さて、面倒という理由のみで長らく休眠している間に何を考えていたか。それは、腹芸には思ったことを簡単に綴る場所がないということだった。元々作りこんだ文章を掲載したいと思って立ち上げたサイトなので、主旨に馴染まないとも言えるのだが、書きたいことを鮮度があるうちに上梓するという手法も悪くないし、別にそれで腹芸の価値を損ねるわけでもないだろう。まあ、ここにそれほどの価値があるとも思っていないのだが。
久しぶりの文章でどうも調子が掴めないが、まあ、こんなものか。そのうち堅さも取れて、むしろ取れすぎて、訳の分からない文章を世に撒き散らすことになるかもしれない。もしそうなった場合は、皆様には積極的に見て見ない振りをしていただけるとありがたい。私も幸せだ。見てみない振り。臭い物に蓋。便所の100ワット。そういった姿勢が、ゆくゆくは環境破壊や少子高齢化や世界の紛争解決といったものの解決に実は大きく貢献するのではないかと思う次第である。まさか。